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2022/01/09

メタ視点を持つ
筆者:石黒太一
 

自分のことを見るときに視点を変えると、新しい気づきがあります。「メタ認知」「メタ思考」などと表現されますが、スポーツをするときに選手の視点ではなく、客席からみるように俯瞰して見ると見えてくるものが変わります。
 
選手がプレイヤーとしての視点で見たとき、「自分から見た相手」しか見ることができません。しかし、客観的、第3者視点で見ると「お互いに気づいていない隙間」などが見えてきます。スポーツに限らず、普段の生活の中でも、この「メタ」で物事を捉えるとより視座を変えて考えることができます。
 
例えば集団で行動をしているとき、自分は普段通りの態度で接しているのに、周囲の反応がおかしいことがあります。自分から見えるものは普段の周囲だし、自分は何も変わっていない。しかし、俯瞰して見たとき、いつもより横柄な態度になってしまっていたり、自分だけが暴走しているということもあったります。
 
セールスをする自分と商談相手がいて、なかなか商談がまとまらないことがあったときに、その様子をビデオカメラで撮っているようにその様子を
見れるようになると、なぜ上手くいかないのかが見えてきます。相手が何か大切なことを言おうとしているときに、自分が話しすぎてしまって重要なニーズを拾えていなかったり、そもそも相手に対して失礼な態度をとっていることもあるかもしれません。
 
年末に志村けんさんのドラマをやっていましたが、ドリフの公開収録映像をYoutubeで見るとわかりやすい”くだり”があります。志村けんさんの後ろから相手が何か悪さしようとしているけど、本人は気づいておらず、客席にいる子供たちが「しむらー、うしろー」と叫ぶというものがあります。第3者の立場にいる子供たちからは志村さんに危険が及んでいることがよくわかります。その危険に気づかない志村さんが結局、その相手に突っこまれるという流れがオチなのですが、普段の私たちはそのようなオチをむかえたくはないですね。
 
振り返りをする場面でも役立ちます。一人称で物事を考えても、それは一方的な視点でしかありません。相手から見た自分ということも重要な視点の切り替えではありますが、さらに俯瞰して見ることができれば、自分を全く違った角度から振り返ることができます。
 
具体と抽象という表現もできますが、視点・視座の切り替えを行ったり来たりすることで一つの現象、出来事も見え方が変わってきます。
 
感染症が再拡大をする気配がある中で、少しモノの見方を変えてみると、ただ恐ることで萎縮するのではなく、萎縮している自分を見たときに、どう感じるのかということまで考えることができます。
 
恐怖と恐れだけで踏みとどまっていると、何も生み出すことはできません。だからと言って無関心になることもありません。環境の変化と自分の態度をどのように選択するのかと考える上でも、メタ視点はより大切になっていきます。

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