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2021/05/05

人生の責任を引き受ける
筆者:石黒太一
 

ヴィクトール・フランクルは次のように言っています。「究極的に、我々が人生の意味を問うのではなくて、我々自身が人生に問われているのだと理解すべきである。一言で言えば、すべての人は人生に問われている。自分の人生に答えることで答えを見出し、人生の責任を引き受けることで責任を果たすことしかできない。」
 
上記は「完訳 7つの習慣」第2の習慣「終わりを思い描くことか始める」で紹介されている言葉です。人生に決められた線路があるのではなく、どう生きていくかは自ら決めて行動しなければいけない。どう生きたかということが人生の締めくくりで評価される、と私はこの言葉から感じ取ります。運命というものがあるとして、それは選ぶことのできないことです。この時代に生まれたということは自分の選択ではどうにもならないものです。しかし、その自分では選ぶことができないことに悔やんで悩んでしまうことがあります。大切なことは今、自分が選択できることを主体的に選ぶということです。自分の人生の最後にどのような言葉をかけてもらい、誰に何と思ってもらうかは思い描くことができます。自分が描きたい人生を実現するかどうかは自分次第であり、それこそが人生の責任を引き受けることになります。
 
これから就職をするというタイミングで、「自分は◯◯をしてこなかったからチャレンジできない」と諦めることがあります。就職する上で、必須条件となるようなことはどれぐらいあるでしょうか。日本の新卒採用においてまだまだポテンシャル採用が主でことを考えると、経験や資格が必要なケースは限られます。しかし、その制限を作っているのは自分自身ということが多々あります。本当に強い意思があれば、乗り越えることができます。もし自動車免許を持っていなく、免許が必須の仕事があったとします。自動車免許を最短で取得する方法を調べること、就職後に免許をすぐ取得するので採用基準の特例を認めてもらうことができないかを粘り強く相談する、などやれることはあります。意思があれば選択できる道は広げることができます。「自分はどうしたいのか。」これが自分の人生に答える問いであると考えています。

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