自分が幸せであること
主体的になっている状態とは何でしょうか。主体的に行動しなさい、主体性をもちなさいとは言われるけど、どうなっていたらOKなのだろうか。自分は主体的に行動しているのに、客観的に見たらそうじゃないと言われてしまうのはなぜでしょうか。
どのようなことも主体的に考えることは実は一番楽です。なぜなら人に言われる、環境に影響されるといったことで行動せざるを得ない場合は、時に不本意なこともあります。気温が高くて暑いことに不満を言っていたところで、何も解決することはありません。人に指示されたことだけをやっていても、自分のやりたいことじゃない場合は満たされない気持ちになります。他人も環境もなくなることはありません。社会に関わる中で、常に自分の期待通りになるとは限らないのです。だとしたら、自分でコントロールできることにフォーカスしていくことで、自分自身を変えることができます。他人のせい、環境のせいにしている状態は、主体的とは言えません。
なんでも無意識に反応しているときは、主体的ではありません。誰かに自分の欠点を指摘された。だから、不快になって、言い返した。これでは、自分の成長もないですし、周囲との関係性も築くことはできません。相手は、良かれと思って伝えことが、意図とは違うように伝わってしまい、反応してしまうことはあります。大切なことは、一瞬止まってその言葉の意図を考えたり、なぜこの人は自分に言いにくいことを言ってくれているんだろうかと考えることです。すぐにはできないこともありますが、少しつづでも止まる習慣をつけてみることです。
どうありたいか。何かを手に入れることで幸せや幸福になるのではなく、自分が幸せであると考えるから、幸せを手に入れることができます。少しむずかしいことに感じますが、私達はものを所有するから幸せになるのではないのです。どれだけもので幸せになっても、一瞬かもしれませんし、所有欲が満たされるだけです。逆に言えば、持たなくても幸せな人がいます。何事も外に求めるのではなく、どうありたいかで変わります。外にばかり求めていると、何も自分の中に変化が生まれてきません。
折り紙を渡されて、自由に作品を作ってくださいと言われたらどう感じますか。自由って何?何を求められているの?このお題の正解は何?と相手の答えを考えしまうことはありませんか。相手が求めていることを理解する事が必要なときもあります。しかし、自由にやっていいと言われても何も行動できないというのは、相手に依存している状態です。就職活動でのグループワークで、正解を見つけに行こうとしてチームが崩壊することがあります。これは、どうしたいではなく、どう見られたいといった外に意識が向いているからです。また、誰かが決めてくれるだろうと待っていると、そこから崩れていくこともあります。互いに主体性を発揮して、それぞれの力を発揮することで、チームで成果を出すことができます。「だれかがやってくれる」「ないからできない」から「自分は何ができるか」「どうありたいか」に考え方を変える習慣を身につけたいです。