どんな発言でも受け入れられる関係
多数決で決めた後、少数だった意見がどうなっていったかを考えたことありますか。何かしら決定をしなければいけないのであれば、多数決という決定方法があるのも当然のことです。しかし、10人中1人が考えた意見がダメなものなのでしょうか。決してダメなものでもなく、むしろ貴重な”芽”かもしれません。誰も思いつかなかったアイデアなのかもしれません。決めることに焦点をあてると、決めた後に、この少数意見は消えてしまうこともあります。さらにはどうせ聞いてもらえないならということで、意見すら出てこなくなってしまうかもしません。それが10年後に世の中を変えるようなアイデアだったり、市場をひっくり返すようなものにつながっていく可能性もあります。少なくとも、少数意見を出してもいい、発言してもいいという関係性や環境作りは重要なことです。
「こんなこと言っていいのか」と不安になるのは、否定されることや叱られるのではないかという恐れからきています。学校の授業で手を挙げて答えたけど、間違っていたことで「そんなこともわからないのか」と叱られたら、もう手を挙げようとは思いませんね。職場の会議でも大多数がA案に賛同している中で、自分はB案の良さに気づいて意見しても、全然聞き入れてもらえなかったら、次から意見を言おうとは思わなくなります。逆に「そのアイデアいいね!」「気づかなかった意見ありがとう」と言ってもらえたら、次も発言していいんだという気持ちになります。これは普段からのコミュニケーションや関係性があってのことです。しかし、今日からいきなり「何を言ってもいいんだよ」と急なモードチェンジをしたからといって変化するものでありません。
共感による関係性が普段からできているかどうかが大切です。自分が伝えたかったことが言葉足らずで、うまく表現できなかったとします。例えば、意図せず怒っていると伝わった場合です。本当は改善してほしいと思っているのに、怒られたと相手が感じてしまうこともあります。もちろん伝え方を工夫する余地はありますが、何を大切にしているから怒っていると受け止められたのかを、考えることもできます。また、伝えられた相手も何を大切しているからこのように指導されたのかを考えると、ただ怒ってるとだけの表面上のことにはなりません。このコミュニケーションが上手になれば、少数意見を聞くことの大切さ、万が一NOと言われてもいいという心の準備ができます。お互いが不要な遠慮や忖度をして言わない、フィードバックしないということは何も生み出しません。多数でも少数でも、お互いにとって共通している目的・パーパスを中心において考えたら、空気を読むことに焦点を当てなくなります。より自然な関係になるはずです。テクニックでのコミュニケーションではなく、人と人が役割や立場にとらわれず、話し合える関係性を作っていきたいですね。