違いを認める中に偉大なヒントがある
思っていることがあるのに言いにく、という状況を経験したことがありますか。例えば私が住む地域では、持ち回りで数年毎に組長の役割が回ってきます。町内会には長くこの地域に住んでいる方もいて、人生の大先輩だったりもします。そういった環境の中で、この地域に住み始めて数年という状態だと、何かを思っていてもなかなか言いにくいこともあります。例えば、新たに町内会に入った方がいらっしゃるたびに回覧板を回すといったことをしていて、緊急性のないものは月に1回のお知らせにまとめてしまう方が作る方も、回す住民も楽なのではないかなどもあります。何かしら意味があったのことかもしれませんが、生活スタイルも環境も変化する中で、新しい意見や違う視点でのアイデアを聞いていかなければ、古いやり方のままになってしまいます。これは町内会の話ですが、同じようなことが職場や自分所属するコミュニティで起きていませんか。
昨日、smartHRさん主催のWORK and FES 2021で、ダイバーシティ&インクルージョンについてのセッションを視聴しました。言葉そのものはいつも耳にしていましたが、はっとさせられてことがあります。それは「誰もがマイノリティになる」ということです。男性が多い企業で、ある部署だけは女性が多く、そこに所属する男性が、会議で発言をしにくかったというエピソードがありました。その企業では、男性が多いという前提になって、発言しにくいということに周囲も驚いたということで、その事例だったのだと思います。単純にマジョリティ、マイノリティといういうことではなく、国籍、障がい、年齢、ライフスタイル、価値観、など環境や状況によって、誰もがどちらにもなりうるということです。留学で日本人だからということで辛い思いをしたことがあると聞いたことがあります。これは一つの例ですが、決して他人事ではないということです。
マイノリティのことを理解しましょうは、マジョリティ視点であり論点がズレていると考えています。だから、マジョリティやマイノリティ、多数や少数という考えがそもそもズレています。今までの社会はもしかしたらこの視点だったのかもしれません。しかし、本当の理解とは、自分も相手も対等であり、それぞれの強み弱みを活かしあうということだと思います。権利を勝ち取るではなく、対話が大切です。配慮と尊重は必要ですが、あくまでも互いに支え合う社会になっていく必要があります。弱みだと思っていたことからの発想の転換という話題もありました。その典型は粘着力の弱い糊を使用した「ポストイット」です。強みや弱みはある特定の視点でみた時のモノの見方でしかありません。強みも弱みになることがあれば、弱みが強みに変わることもあります。一人ひとりがこのことを理解して、行動していくことがこれからの成長には欠かせないですね。