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2021/02/18

「私たち」で考える
筆者:石黒太一
 


誰かが世の中を変えてくれること待っていても、変わるかどうかはわかりません。自分が一人で世の中を変えようとしても限界があります。社会全体で協力しながら変えていかないと何も進んでいかないのです。持続可能な社会にしていこうと誰か一人が奮闘しても、影響が及ぶ範囲は限定的です。だから多く人たちを巻き込み、流れを変えていくことで、社会そのものが変わっていきます。

「私」だけで取り組むのではなく「私たち」で考えることが必要になります。

そして大切なことは、順番も必ずあるということです。誰かがやってくると思っている状態で周囲を巻き込んだら、ただ期待を丸投げしているだけです。自分の代わりにやってくれる人を探しているだけでは「私たち」にはならないのです。

就活で、志望動機を考えるときにもこの視点がヒントになります。自分を育ててくれる会社に入社したいとおもうことはあります。しかし、「私は御社の人材育成プログラムに興味があり、育ててほしいので入社を希望します。」という志望動機を聞いたら相手はどう思うでしょうか。「学ぶだけなら学校に行くのはどうしょうか」という感想を持つかもしれません。もちろん、仕事をする上で、教育や人材育成は非常に重要になります。現実としてはトレーニングを通してスキルを身につけていくことになりますが、それは結果を出すために学ぶのであって、学ぶことが就職する目的になると、違和感がでてきます。

「私は、がむしゃらに働いて、新事業提案もどんどん出して、なんでもやっていきます。」という志望動機だったらどうでしょうか。気合いは感じますね。自分で機会を掴みにいこうとしている感じはします。大切なことは、その会社が目指す方向とベクトルが合っているかです。がむしゃらに働くのではなく、仕組みによって生産性高く仕事をしてほしいと思っていたり、新規事業よりも既存事業を成長させていきたいと思っていたら、空回りになってしまいます。

自分だけの視点ではなく、会社がどのような方向を目指しているのか。自分の強みと会社の強みが重なるところはどこか。自分がこの会社に入社することで、どのような相乗効果をもたらすことができるか、などを考えてみると、志望動機というものがもっと「私たち」になってきます。ただし、「私たち」になるためには、まず自立していること、自創・自走ができるようにならなければいけないということは忘れてはいけません。

子供の時の自分を振り返ってみるとよく分かるかもしれません。生まれた頃の記憶はないかもしれませんが、生まれてすぐに、家族のために何かしようとは思えていないはずです。今日はお母さんが疲れているか、夜泣きはやめておこうと考えている赤ちゃんはほとんどいないと思います。まずは育ててもらって、ごはんもトイレも世話をしてもらうことからスタートしています。学校に行き始めると自分である程度のことはできるようになり、そのうち、親になんかを言われることが煩わしくなっていきます。部屋の扉を閉じて一人でゲームをずっとやっていたりします。ここまで来ると自分の視点で物事を見るようになっています。自分が楽しいから、自分はこれが好きだからと考えるようになります。そうなってくると親とぶつかったり、会話が減ってきたりします。

そんな関係がしばらく続くのですが、生活の変化で親の気持ちがわかってきます。大学で一人暮らしを始めて家事の大変さを知る。就職をして働くことの大変さを知る。結婚して家族の存在に改めて気づく。体験をすることで、親への共感が芽生えてきます。自分があんなに反抗していたときも、自分たちのために働いてくれていたのだと思うと、急につながりを感じるようになります。そうなっていくことで「私たち」という視点で家族を考えることができるようになってきます。本当に親への感謝を持てるようになるタイミングです。

就職をすることは、自分の人生のステージを変えていく時です。学校では先輩だったのが、仕事では新人になります。これは自分が螺旋状に成長していることであると考えることが大切です。後輩が入ってこれば先輩になりますし、自分がチームを持つようになれば、部下を育てていく立場にもなっていきます。依存→自立→相互依存とこの順番をステージごとに繰り返しています。いつまでも依存でいてはいけないし、自立から相互依存を常になっていくことを考えていくことで、次へのステップアップになっていきます。

「私たち」で考えることはゴールではなく、さらなる成長への入り口です。

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