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2022/04/26

モノの見方
筆者:石黒太一
 

建物を見ている角度によって違う印象を受けることがあります。同じモノ、現象だったとしても、とらえ方や見る角度によって全く異なって見えます。普段の生活でも、誰かと意見が対立したり、理解が食い違うとき、何を相手が見ているかを知ることは解決の重要な糸口になります。

たこ焼きに入っている「たこ」を何気なく食べていますが、初めて食べようと思った人類はどんな感情だったのだろうかと思うことがあります。これは食べることができるという経験があるからなんの躊躇もなくスーパーで手に取りますが、もしたこを食べる文化がなかったとしたら、きっと驚くのではないかと思います。このように、私たちはすべてのことにおいて自分の経験や思い込みによって見ています。嬉しいことも、辛いことも実はモノの見方に起きることもあります。

雨が嫌だというのも雨で濡れることで風邪を引いたり、傘をさすことで移動が大変だから嫌だという感情を持ちます。しかし、そのような経験がない人によっては、ただ水が降っている現象でしかありません。植物を育てる上で、適量な雨は成長に必要なものだとしたら、雨が降ることが嬉しいことに変わります。同じことでもとらえ方が全く違います。植物を育てている人に、「もうずっと雨が降らないでほしい」と言ったらケンカになりますし、毎日自転車通勤している人に、「雨が降ってくれて嬉しい」と言っても話が噛み合わなくなります。

違うモノの見方があることを知ることは大切なことです。自分にとって不快に思うことも誰かにとっては嬉しいことかもしれません。その逆もあります。必ずしも一つの視点が全てであるということはありません。行き詰まったり、困難にぶつかったときに視点を切り替えてみると新しい気づきを得ることもあります。モノの見方を増やすときに、歴史を学ぶこともヒントになります。鎌倉時代や江戸時代といった歴史もありますし、目の前にあるモノの過去の経緯や流れも歴史です。今に至っているには、先人が行った選択の連続があります。今自分が悩んでいることが過去にもあったかもしれません。その時、何があって、どのような選択をされたのか。歴史は繰り返されていますので、多くの気づきがあります。

相手を知ろうとする努力は必ず必要になります。誰かと意見が噛み合わないのであれば、相手が見ている「メガネ」をかけてみることで理解できることがあります。物事の側面は決して1面ではありません。360度で見れば、全て違って見えることもあります。自分のモノの見方、相手のモノの見方が何であるかをまず理解すると新たな気づきにつながっていきます。

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