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2022/06/06

相手の良いところを見つける
筆者:石黒太一
 

完璧な人は存在しない
完璧な人はこの世には存在しない。だから、他人のあら探しをしようと思えば、いくらでもできる。しかし、そんなことをして他人を裁いたところで、いったいどんな利益が得られるのだろうか。
神は最後の日まで人間を裁こうとしない。ましてや、私たち人間が他の人間を裁いていいものだろうか。

「超訳 カーネギー人を動かす エッセンシャル版」 
D・カーネギー 著 弓場隆 訳 
ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

時々、自分は完璧な人間であるように他人を見てしまうことがあります。あの人のここがダメだとか、あの人はこれができていない、など人を裁くようなことをしていないでしょうか。人の欠点ほど見つけやすいものはありません。そして、その欠点を根拠に他人をジャッジしてしまうことは、無意識にしてしまうものです。

他人を裁くことで何が生まれるのでしょうか。ちょっとした優越感や安心感を得ることがあるかもしれませんが、それで相手との関係性はプラスになることはありません。反対に見れば、自分自身にも多くの欠点があり、できないことは山ほどあります。あら探しをすればするほどいくらでも出てきます。自分を棚に上げても仕方のないことです。

人はだれでも良いところや強みがあります。相手の良いところを見つけることで、関係性は深まっていきます。子供の成長でも、できたことを褒めて、強みを伸ばしていくことがのびのびと育っていきます。

他者に完璧を求めないように、自分自身にも完璧を求めないことも大切なことです。立場役割によって、自分を完璧な存在として演じようとすることがありますが、それは他者に対しても完璧を求める結果となります。自分がここまでやっているのだから、自分はこんなに努力をしているのだからと自分に対するモノの見かたを相手にも強要することがあります。

お互いにありのままであることが、より理解を深めることになります。どこまで取り繕っても自分は自分なのです。完璧を演じることはできないし、相手に完璧を求めても何も生み出す事はありません。ジャッジをするのではなく、お互いをありのままに認めることがより良い人間関係を生み出します。

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