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2022/06/07

やりすぎぐらいがちょうどいい
筆者:石黒太一
 

自分ではちょうどいいと思っていることが、相手から見たときに不足していることがあります。オンラインミーティングでうなずいているつもりが、画面の向こうには何も反応をしていないように見えることもその一つです。画面越しならいつもの1.5倍ぐらい大きくうなずいてやっと伝わります。気づかいやおもてなしも少しぐらいやりすぎがちょうどいいものです。

ここまでしたら迷惑かなとか、こんなことしたらやりすぎなのかと思って踏み留まっていることはありませんか。これをやったら本当は喜ばれるのに、でもやっていいのかなと遠慮する気持ちはよくわかります。しかし、行動しなければ良かったのかどうかはわかりません。少しだけ自分の慎重さから一歩踏み出してみることが大切です。特に仕事をする上で、思っているだけでは相手には伝わりません。電車で席を譲ろうという気持ちがあっても、譲らなければ何もしていないのと同じなのです。

マニュアルというものがあります。手順が詳しく書かれていますが、マニュアルを超えた行動をしていけないのでしょうか。例えば、医療や宇宙ロケットの操縦のように精密さを求められるものはマニュアルの重要性が高いかもしれません。しかし、普段お客様と接する中で、画一的なマニュアルに沿った行動だけで感動を提供できるでしょうか。感動を提供するためのマニュアルというものがあっても、常に相手や状況が変わる中で、必ず感動を提供できるとは限りません。

口角を上げて笑顔を作る時、ものすごく極端な笑顔になっていることに気づきます。ちょっとやりすぎじゃないかと思うぐらいの笑顔を作ることで、相手にはちょうどよく伝わるのです。新人のときに、挨拶を元気にしましょうと教わります。練習では声を張り上げるぐらいのものになります。ちょっと気を抜けば挨拶は普通になります。普段よりも意識してやりすぎと思うぐらいの挨拶で「おお元気だね」と言ってもらえるものになります。

相手のことを思って行動することは、やりすぎても叱られることはありません。想いは必ず伝わるものです。自分で自分を抑えているのであれば、一度ブレーキを緩めて、相手のために今できる120%の行動をしてみましょう。

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